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樋口祐介 / Yusuke Higuchi

1991年5月10日生まれ_福岡育ち

 

2014年夏より

世界一周建築の旅へ出発します。

 

 

リュックに詰め込むのは、家族・先生・友達への感謝の気持ちと、少しの「うまかっちゃん」と、「3日分の着替え」。

スケッチブックを片手に行ってきます。

1991 年 

埼玉県さいたま市に生まれる。

ひょんな事からお正月の大河ドラマに生まれたての赤ちゃん役で出演。

保育園に入園。

お昼寝時間に幾度となく脱走を試みるも失敗におわる。

1997 年 

小学校に入学

裏山に埋まっている石の発掘という謎の趣味に興じる。

将来の夢は「化石博士」。

1999 年 

小学校3年生-埼玉県から→福岡県へ引っ越す。

とんこつラーメン、焼き鳥などのローカルフードのおいしさに目覚め、

日に日に丸くなっていく。

小学校卒業時にはクラス重量級No.2となる。

 

2003 年 

夏、姉が小児がんで入院する。

家に一人でいることが多くなり、自炊を覚えていく。

週3回、ドッジボール部での練習に励むものの、増えた体重は一向に減らない。

卒業式に宣言した夢は、「NASAに就職する!」。

しかし、なぜそんなことを言ったのか、自分でもわからない。

2004 年 

中学校に入学-テニス部に所属。

夏の練習へメガネで臨んだ結果は、パンダ顔。

コンタクトデビューに失敗する。

2005 年 

中学2年生、12月-ユーイング肉腫という小児がんを発病。

一年半に及ぶ入院生活から得たものは、つらい経験だけでなく、バラエティに富んでいた。

 

たとえば。。。

・「一服座談会in屋上」—整形外科の元気なおじいさん達から人生のいろはを学ぶ。(もちろん未成年の私は、たばこは吸っていない)

・病院を抜け出して山に登り「えらい目にあう」

・小児科病棟では、子供がママゴトに誘ってくる。

・屋上で沖縄民族楽器「三線」のミニライブを開催する。

etc...

 

とは言うものの、

さすがに抗がん剤治療や手術、リハビリは過酷であった。

一週間足らずで体重が7キロ減ることもしばしば。

また、同室で一緒に闘っていた子供たちが何人も天国へ旅立ってゆく。

そのような環境での闘病生活は、人生の大きな岐路であった。

 

2007 年 

3月。退院

卒業式の4日前に退院し、なんとか卒業式に出席する。

入院中の勉強の遅れを取り戻し志望校に入学するため、高校浪人を決意。

 

2008 年 

4月。高校入学

努力が実り、志望校に合格。

 

音符を読むことすらままならなかったが、

楽器を吹けるとモテると聞き吹奏楽部に入部。

バリトンサックスを担当する。

 

先輩の影響でJazzに夢中になり、バリトンサックスの巨匠ジェリー・マリガンのSAXの音色に憧れる

雪降る中、寒さに震えサンタ姿で「駅前クリスマスライブ」をしたのもいい思い出。

2010 年 

将来の目標を持つ。

入院中に出会った女の子との死別をさかいに

病院の療養環境を変えたいという思いを抱く。

 

それまで患者の側に入れる看護師になりたいと思っていたが

患者に寄り添う環境をつくることが出来る建築の道を志す。

 

2011 年 

大学に入学

一人暮らし、建築という初めて学ぶ分野、何もかもが初めての経験で大忙しの毎日。

実家から送られてくるインスタントラーメン「うまかっちゃん」に何度も助けらる。

2012 年 

設計課題で住宅課題賞をいただく。

関東の受賞者が集まる審査会で他大学の学生から刺激を受ける。

2013 年 

建築事務所でのアルバイトを掛け持ちし実務設計に触れる。

 

「世界中の文化・世界中の人々について、もっと知りたい。

教科書や雑誌からの知識だけではなく自分の目と肌で感じ学びたい」

という思いから、建築の旅を計画し始める。

2014 年 

4年生を1年間休学

7月より「世界一周 建築の旅」へ出発

世界中を歩き、

世界中の人に出会い 

世界中の文化に触れ

世界中の建築をスケッチしてきます!

 

何度も助けてくれた友達、心配してくれた先生方、支えてくれた家族に感謝の気持ちを込めて。

「行ってきます!」

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